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永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

片付けができないのは私じゃなくて環境に欠陥があるから

片付けられない、というのは他人から見ればただの怠慢らしい。しかし私としては、「もともと片付ける能力が備わっていないんだ! 私は欠陥を抱えている!」という感じだった。

物心ついた時からすでに片付けが出来ず、部屋はいつも散らかっていた。散らかりすぎていて座る場所もないので、高一くらいまではいつもリビングにいた。

しかしリビングも散らかっていた。それだけじゃない。三人家族の我が家のダイニングテーブルの空席には物が山のように積み重なり、廊下には段ボールが散乱し、物置は中に物が多すぎて最早開くこともできず、脱衣所には正体不明のボトルが沢山あり、そして父の部屋は私よりひどかった。

私が思うに、片付けとは後天的な能力である。そして散らかった家で片付けの能力を会得できないのは当然なのだ。

と、いくら責任転嫁しても、部屋は片付かない。年末年始に引きこもり、時間を持て余していた私は、重い腰を上げ片付けに踏み切った。

とにかく物が多い私の部屋に対してできることは、「捨てる」、ただこれだけだ。

色々と捨ててわかったことは、「ものを大切にしていれば散らからない」ということだった。

片付けをしてはさみが4つ見つかった。探せばどれかが見つかるから、定位置がない。しかし、1つしかなかったら、失くした時に探すのは大変だ。自然と位置が定まり、失くさないよう大切に使う。

捨てることそれ自体に意味があるのではなく、物を減らすということに意味があると思った。ものが少なければ自然と大切に扱うようになり、片付けられるようになる。

ところでそれから二週間。私の部屋はまだそれなりに綺麗さを保っているが、捨てたあれこれがやっぱり必要になり再度購入、そしてそれを部屋で紛失しまた購入を検討するという事態が何度も起こっている。今一番私に必要なのは、物を捨てることでも大切にすることでもなく、物がない状況を乗り切る力なのかもしれない。