読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

なぜ福寿草子はメンヘラから抜け出せないのか

高3の冬、大して受験勉強もせずにだらだらとネットを見ていた私はメンヘラの鋭さを知った。文章がうまいメンヘラ。人を引き込むのがうまいメンヘラ。コンテンツ性の高いメンヘラ。私はメンヘラに憧れた。私もツイッターやニコ生で楽しいメンヘラライフを送りたいと思った。けれど浪人という現実を受け止めて私は一年待った。そして大学生になり、楽しくないキャンパスライフをなんとなくやり過ごし、メンヘラアカウントを作りたかったことすらも忘れていた。10月。つらい。つらくてしかたがない。人に愛されていないと思った。嫌われてはいないだろうけれど、特段好かれてはいないなと思った。周りの人全員が自分に対して何の関心も持っていないと感じた。つらくて悲しくて泣いて精神科に行くことにした。向精神薬を飲んでメンヘラアカウントを作った。割とすぐに人に教えた。私のことを知ってほしかった。しばらくはがたがたと騒いだけれど、私はメンヘラをやめると言った。本心からの言葉だった。けれど、どうだ。どんどん悪化していくのだ。何か一つする度にそれは癖になる。客観的に見てメンヘラでしかないのでメンヘラと自虐する。叩かれる。殴り返す。現実が滅んでいく気がする、というのは大袈裟だしそんなこと思ってはいないけれど、あまり好ましくないことは確かでしょう。私は何がしたいのかといえば、まともな人間になりたい。けれど知っている。比較的安定している時ほど、痛いくらいの不幸に憧れてしまうのだ。そしてメンヘラの真似事をする。真似のつもりがいつの間にか抜け出せなくなっている、それの繰り返し。何をやっても駄目だ。何もしては駄目だ。自分の身体が、自分に身体があることが、気持ち悪い。よくある流行の一つにすぎないと軽視されるのに憤慨する。つらくてしかたがない時、私は人とどういう関わり方をすべきなのかわからない。ツイッターなんかせず醜態を晒さないよう一人部屋で泣いて食べて吐いて切っていたらいいのか。相談してと言ってくれた人に死にたいと言えばいいのか。そういうことをぐるぐると考えていると、頭がくらくらして、もう全部リセットしたい気になって、上に挙げた三つのどれか、あるいは複数、をしてしまう。完全に逃げ。メンヘラごっこで自分のものにした行為を手段として強制終了し、それをメンヘラと認める。まともな人間にならなきゃいけないのに、メンヘラでいたくって、その自己撞着に死にたくなる。自分の心が傷つくのも身体が傷つくのも我慢できるけれど、まともじゃないから今一番言いたいことを胸を張って言えない、それが一番つらい。