永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

まいにち素粒子論

 人と喋る時、私と他者の間にはフィルタがある。フィルタは相手の話のディティールを削って、話題の大まかな方向性だけを私に伝える。情報盛りだくさんで喋っている相手を前に、私は「○○の話だな」くらいのことしか思わない。そして私は相手を選んで、話題を選んで、状況を選んで、思いついた複数の反応パターンから適当なのを選んで、何かを投げ返す。たいてい、あえて方向性を取り違えた答えを選ぶ。それか逆張り。この喋り方が意図的なものだということくらい、みんなわかっていると思っていた。けれど高校生の時、真面目で冗談の通じないクラスメイトは「え、福寿草子さん、わざと言ってたんですか」と目を丸くした。私はしれっと「そうですよ、本気にしてたんですか?」と言った。残念。全てわざとやっていることです。高校生の私にはこれしかなかった。フィルタを通して、なんとなくの考えを、感情を、肌に感じて、正解なんか探さなくていいように、間違いを許されるように、頭を働かせた。それから数年、今はどうなのか、というと、それはご存知のとおりです。