永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

絶対的正義で叩かないでください

明けましておめでとうございます。昨年十一月末から一人暮らしを始めました。嫌なことが嫌だと気づいてしまった瞬間それを続けることに異常なストレスを感じるので、やる時は一瞬です。思い立ってから一ヶ月とかけず一人暮らし生活が始まりました。
当初は「なんでも一人でできていいのか、頼ることも必要なのではないか」というようなことを考えていました。能力的に一人でできることでも、あえて人に任せることも必要なのではないか、ということです。一人できるから一人でやらなくてはならないし、それで回せないのは自分のせい、なのでしょうか? でも、自分でできることを人にやらせるって私にとってはとても難しいことです。
じゃあ、してあげる方はどうかというと、こちらも最近苦手に感じています。その時は善意100%で納得していても、あとから価値判断基準が変わって逆恨みすることは十分ありえますし、よくあります。「してやったのに」って思うからだめです。「してあげよう」っていうのがもはやだめです。「(あなたは嫌かもしれないけれど)させていただく」と思っていてぎりぎり安全かどうかです。ひとに何かをするのってとても申し訳ない、ひとに、っていうのはなんか大切な誰かにみたいなことです。申し訳ないけれどしてしまうのは私が全部悪いんです。でも悪いからそんなことほとんどしない。一人でもじもじしているだけです。私が何かをしても相手は得をしないし、むしろ損することが想定されています。なのにしてしまってすみません。損させてごめんなさい。自尊心が低すぎる、自己否定、ではなくて、相手が高すぎるだけです。させていただくほかないんです。だから結局、してあげる場合には、してやってもいいのだと思います。してやってるんだぞって思わないでしてあげるからあとで困るんです。してやるかさせていただくかなんて全く違うのに、それを粉飾しようとするからいけないんです。
人にものを頼むとどうしてもしてやられてしまいます。こちらから要請しているのだからさせていただかれることなんてありえません。だから多分私は自分の立場が下になるのが、というか下だという前提でコミュニケーションするのが嫌で、頼むのが苦手なんです。では、させていただくような相手にものを頼んだらどうなるのでしょうか? そんなの少しも考えたことがありませんでした。そんなお手を煩わせるようなこと絶対にあってはいけないので私は多分我慢して耐えるか一人ですべて引き受けるか新たな技術を習得し一人でできるようになります。でもそれでも何が何でも頼まなければいけないとしたら? そうしたら私はとてもつまらない人間になってしまいます。そういうときは、どうしても頼めずに耐えて苦しんでいるのが一番いいんです。だって、どうやって頼むのでしょうか? 改まるのもおかしいし、普通の人のような口調で普通のことのようにお願いをして普通の人のように返されてしまって、そこで関係は終わります。関係、というとそれは上下関係というか、主従関係というか、私が「下」に甘んじていられる仮想的な関係です。すべてが暗黙で、だから私はそれが本当かどうか忘れてしまうんです。全部嘘でした。そんなのありません。多分私は今だに物語を求めているんです。