永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

現実を歩みたい

本を読みました。

引き裂かれた自己: 狂気の現象学 (ちくま学芸文庫)

引き裂かれた自己: 狂気の現象学 (ちくま学芸文庫)

 

人格について書こうとしては何度も失敗していますが、私の考えは大体この本に一致します。「私が考えていたことがすでに存在していた(こう考えるのは私だけではない)」「私は『統合失調基質』で多くの人間とは違うらしい(じゃあみんなどう生きてるの?)」というのが感想です。
簡単に言えば、「本当の」自己と、対外的に作られた自己があり、後者は本当じゃないのでどうなってもいい、傷ついたってそれは「本当の」私じゃない、という話です。この辺りは変ゼミがとても上手く描いているのでぜひ読んでください。
気づいたら意識を失っている、というのが私の問題です。記憶はあるのですが、朧げで現実感がなく、自分の体験したことだと思えないのです。その時には感情を感じていたのか否か、記憶には残っていません。ただ、誰が何をどうした、というだけです。
その状態から意識を取り戻すのが大変で、それが達成された暁には途轍もない高揚ももたらすのですが、夢の中で夢だと気がつくくらいには難しいことです。けれど私は私で生きているので(もちろん「本当の」方の私です)、少なくともこれを書いている私はそうなので、そっちで生きていきたいわけです。でも気がつくと意識が飛んでるのでどうしようもありません。そこで必要なのが自分を取り戻す仕組みなのです(前ツイートの失敗を取り戻すように連投し始めたらそれはボダの始まり、黙って垢消しというルールがすでにあります)。
簡易的には、意図を意図しない、というのがあります。例えば、「あのことを言いたい」「言ったら可哀想だな」という二つの意志は共存しえますが、「言いたいけど言ったら可哀想だから言わない」は謎の因果関係によって元々ない意志がでっち上げられています。「言わない」意志はなかったはずです。言いたいなら言う、可哀想なら可哀想だと思う、あるいは可哀想に思いたくないのならなぜそうなのかを考える、ということをすると意図を意図された言動から少しは逃れられます。
まあそんなことはどうでもよくて、本当にどうでもいいんです、私は今日も意図を意図して失敗しました。引き裂かれた片方の自己を取り戻すには、必要なときに取り戻すには、常に持ち続けるには、どうしたらいいのでしょうか。
ところで、自己の解離の少ない人はどうやって生きているのかが不思議でなりません。それがまさしく「この他者の中にはちゃんと人格があるのか?」という問の浮かぶ瞬間で、逆にちゃんと人格のある人間だと私に思われている人は、自己が引き裂かれているとみなされている、ということです。