永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

口からどんどんピザが出てくる - 2018/09/14-16

口からどんどんピザが出てくる。出てきてた。いや、わからない。
私の中で、ブログは「公開」がしっかり前提化されているから、フィクションも多いし、矛盾を自覚してそのままにすることもある。推敲するうちに話が正反対へ行ってしまうことは日常茶飯事だ。長々と下書きを書いても、いざ公開しようというときに全く逆の気持ちになってお蔵入りにすることもある。とりあえず、ブログは頭の中垂れ流し、ではない。サブタイトルの「福寿草子のゆるふわ脳内」はアーバンギャルドの『あたま山荘』の歌詞「あたまのなかはゆるふわカオス」に由来している。アーバンギャルドは全盛期のいわゆるインターネットメンヘラたちのヘラリティをきちんと可愛く一曲にまとめ上げていたと思う。それを念頭に置いている。というか普段は意識していないけれど時々思い出す。つまり、ブログはつまらないことばかりだらだら書き連ねるところではなく、ポートレート的な役割である。こういうことを書いているとインターネット評論勢のこと、サブカル眼鏡さんのことを思い出して本当にめまいがするのだけれど、なんかそういう気分なのでそういうことを書く。こういう現在形にも嫌気が差す。

本当に思っていることでも、言うぞ言うぞ言うぞと思って言うと意味が変質してしまう気がする。うまい皮肉で一泡吹かせてやったぜ、みたいな、したり顔が目に浮かぶ。卑しい。数年ぶりに会う友達に、「前はこう言ってたけど、今日は言わないね」というようなことを最近よく言われる。私は思ったより口が緩かったらしい。思い出した。神経科に行き、喋りすぎるんでしょうと言われて口を慎むようになったのだ。でもそのずっと前から、どんどん、思ったことが捕らえられない。捕らえられても言葉にできない。思った瞬間に言えないから力んでおかしなタイミングで言ってああこんなことが言いたいんじゃなかったのにってなる。だからもっと言えなくなる。
昔は私は一人でも全く平気だった。私は私の中の他者と会話していた。それまでの実際の会話で得た他者の性向を、文法を、私の中に再現し、そして仮想的他者とお話をする。そんなに親しくない人でも驚くような妙案を出す人もある。そしてその返答をより確かなものにするために、つまりより現実の他者を必要としなくていいように、他者のことを何から何まで知りたがった。でもわからない。他者とか、精神とか、もう全部やめたい。やめたいと意識することすらもう嫌だ。

2018/09/14

嘘だよ、全部嘘。あーーー首を絞められたい、と思う。でもそれを言った瞬間意味が変わってしまう。変わってしまった。実際に首を絞められるのは「やってやるぞ」という力みを感じて大嫌いだ。誰も私のことを憎んでいないし救おうともしない。されても困るけど。

喉が痛くて苦しい。普通に風邪。家の目の前の病院に行くのが億劫で二日間スルーしてバイトに行ってしまった。しんどい。別に今は熱もないけれど、すっぴんでお風呂入ってなくてぼろぼろで部屋も散らかってて洗い物もたまっててそれでも介抱してくれるひとがほしいと思う。多分年々強まってくるタイプの欲求だ。でも当分そんなことはなさそうなので、いや言霊、まあ当てはあるんですけど、今は割ときれいに生活している。バイト先へ適当な格好で出かけるのもやめた。涼しくなってきたからか、涼しくなってきて精神がどうかしてきたからか、「毎日がデート服」「最低限のレベルを上げる」の時代が舞い戻ってきた。秋と冬が好きだ。身体の輪郭を感じやすい。泣きたくなる。

ここが私達の関係性の問題点なんだねって言って結局実際には何もしないで精神の本とか読まれると私を放置して自分はカウンセリングに通った、そして自分はカウンセリングに通ったんだと言った母のことを思い出す。私は「結局何もしてくれなかった」と言うわけだけど、そこには「だってあなたが望んだ『関係』でしょう?」という逃げ道がある。私は望んでいない、の一点張りだった。

2018/09/15

朝病院に行って、諸々の用事を済ませ、昼から五時間寝た。気づいたら寝ていた。風邪を引いたときの、必要に迫られた睡眠が好きだ。嫌な夢ばかり見た。風邪を引くと心が弱くなるというのは多くの人が頷いてくれると思うのだけれど、私が言う「お酒を飲むと感情が溢れ出てしまう」ってそんな感じだ。

えらい、と言われるのが嫌だ。そう言われるとき、大抵はえらくないから。すごい、と言った方が適切な気がする。つまり、「立派だねえ、よくやったねえ」という意味での「えらい」はあるラインを越えたことを褒めているわけだけれど、あまりにも低いラインを越えたところで褒められても馬鹿にされたようにしか感じない。ライン設定は自由なので、私の中で低いラインは他者の中で高いラインかもしれない。だからそれを褒めること自体はいいけど、それなら「すごい」と言ってほしい。つまんないことで「えらい」と言われると、本当に腹が立つ。甘やかされるよりも甘えたいのだと気がついた。

この前「私よくADHDっぽいって言われるんですけど」と話し始めたら「福寿草子さんはADHDじゃないと思います!!!」と叫ばれてその先の話を聞いてもらえなかった。閉口して辟易した。私がADHDかどうかはともかく、ADHDっぽいとよく言われると発言することの善し悪しはともかく、言われるのは事実なのだからそこはさらっと流してほしい。「私は全然そういうふうに思いません」じゃない。こういう、清潔さの求められる会話ばかりしていると息が詰まる。ちなみに敬語で話してはいるけれど相手は十年来の知り合いである。

もう23時を回ってしまった。と思ったら22時だった。虫が鳴いている。寂しくて寂しくて都合のいい年下男メンヘラに構ってもらおうと思っていたのを思い出して、今はそんなに寂しくないけどとりあえず探りを入れてみたらODしてた。引きずりこまれたくないのでやっぱりやめた。この前偶然再会した人と飲みに行くことになって、慌ててLINEのブロックを解除したけど、やっぱり意思疎通が困難なレベルで頭が悪かった。時間を無駄にすることを恐れている。新たなコミュニティを無選別に求めるよりも昔からの繋がりを大切にした方がいいのかな。気に入らない人とすぐに縁を切るのをやめた方がいいんだろうかって、うまくいってないときばかりそう考える。

2018/09/16

"「でもずっと寝てるのも難しい、起きるのは起きるけど、起きて何をするのか考えなくちゃいけない、映画でも見にいくかとか、そのあと図書館にでも行こうかとか。そうやって、朝起きるとこから全部自分で決めて、一日じゅう自分で考えて、次に何をやるか、やることにどれくらい意味があるのか考えたりして、意味が考えつかなくてもとにかく何かやって、まる一日、自由な時間をつぶしていくってもっと難しいんですよね」
「仕事をしてればごまかしがきく」"