永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

(2018/12/02) 2018/12/03 - 2018/12/09

(2018/12/02)

Twitterを消して記憶も消した。久々に禁忌を犯す。うっかり人と深く関わってしまったところたいへんな傷を負い、回復には時間がかかりそう。前回、九月には社会に溶け込もうとして精神が参ったわけだけれど、今回は自分の行いに殺された次第である。

なんかもうミニマリストになるしかない! ミニマリストになるしかないよ!

最果タヒを読んでエモになっている。ブログのどこがいいかというと、即時に発信されず、反応もない、というところである。一方的な私の情報発信。交わらない目と目。あんなにTwitterが好きだったのにね。嘘だよ。

わからない。何でもよかったのかもしれない。何でもよかったんだよ。何でもよかったのにたまたまそれだったから、私はいつまでも囚われているんだ。本であれば、音楽であれば、いずれ擦り切れ輝きも失われているものを。感情に、見切り発車に名前をつけてしまってはいけない。けれどもう全てが遅い。否定するだけじゃなく、正解も教えてくれていたら、そうしたら少しはましだったと思う。けれど、もう全てが遅い。

私は自分のことを善い人間だと思われたいのだ。多分。少なくとも私が申し訳なさを感じている分くらいには。でも本当はめちゃくちゃなことばかりしているのを知っている。そしてそれを隠す気なんてないのに、ひとに知られているのが怖い。「誰だって、人に嫌われるのは嫌でしょう?」――どうしていいかわからなくなる。自分のしたことを考えれば弁解の余地はない。私のことを嫌いになっても、私のことを笑ってください。そうまとめられればいいのだけれど。

2018/12/03

朝起きてまずひとのTwitterを見られないということを嘆いた。リア垢も消そうとしていたのだ。けれど朝起きてます嘆くくらいに見たいのなら、別に消す必要もあるまい。己に不満足を強いなくともいい。

"愛し合うっていうのは、なんだか神経衰弱みたいだね。"

好かれていないと、無言の合意がないと、どうしようもない世界だ。好かれていない人は、もうその時点で拒絶を受けることが決まっていて、けれども諦められないし受け入れられないから空回りをしていく。空回りをしたってしなくたって、届くことはないのに。より多く耐えた方が報われるわけじゃない。

孤高の女なのだけど、応用解析の授業で五人までで班を組めと言われて、一人でやるのはきついと言われて、「五人じゃないところあったら入れてくれませんか」と人々に向かって言った。社会性である。入れてくれた班のメンバーは私以外みんな同じ研究室の男である。一人だけ三年の授業の班が同じで顔を知っているが、残念ながら名前は覚えていない。せめて全員顔は覚えなきゃね。AI系の研究室ってことだけが救いだろうか。話は通じる。

"しだいしだいに核家族化して安定性を失った家庭という枠組みの中で、両親が数少ない子供に注意を向けすぎて無意識に心的外傷を負わせている。"

記憶を意図的に消すとどうなるかというと、その前に遡りにくくなる。一日前の記憶を消せば二日前の記憶にはほとんどアクセスできない。記憶が時系列データであることを確認する。

ただ、言葉がある。言葉の奥に文脈がある。言葉が、選ばれていることを感じる。発したひとの既往を思う。私の前にあるのはいたずらに並べ立てられた言葉ではなくて、ひとの乗り越えた人生がなければ選ばれなかった言葉だ。文脈に触れたい。

2018/12/04

"皮膚は振動もしくは電気的な接触による信号を拒むことができない。目は口のように閉じもできなければ耳や鼻のようにふさぐこともできない。話し言葉や書き言葉のように過度な饒舌にあふれかえってもいない。"

ひとのことすぐに嫌いになるし、ひとのことすぐブロックしてしまう。多分時を置けば大丈夫なのだけれど、時が経つと私は何があったのかを忘れてしまうので、このひとに親しさを感じさせてはいけない、とかずっと忘れないように思い続けるのも負荷がかかるので、すぐに関係を絶ってしまう。だから私には友人がどんどん減っていくのだ。新しく作ることも、もう諦めているから。

風の日が好きだ! 万能感。

"過度の密着と突然で予見できない分離という二律背反的な状態"

久々に文章を書こうかという気分で、となれば百合しか書けず、両親が死んだ女の子をお姉さんが引き取るもの、流行っているよなあと思う。自分が一生誰も愛せないのではないか、とか、ペットが死んでも悲しくないのではないか、とか常々思っているので、疑似家族の利便性に思い当たる。でもそれも、養子を取るとかではだめで、確かな文脈がないといけないのだと思う。

街のこと。恵比寿、代官山、表参道、やらなんやらその辺の女の人は綺麗、まずブスはいないと知った口を利く男の子の言うことを聞き流して、けれども私の住む街の女の人は確かに綺麗だ。まずほとんどが痩せているし、文脈性の強い服装をした人が少なくみんな「きれいめ」だ。東中野へ眼瞼下垂のボトックスを打ちに行って、中学生だか高校生だか、詰め襟の下品な者たちがわんさか走り抜けていく改札を前に絶望した。私の住む街がこんな有様だったら耐えられない。特に不満も満足もない、ということは、ある程度満足している、ということである。

どうか私のことを救ってください、と思う。けれど救われるには絶望が足りない。困難とその解決を繰り返し騙し騙し生きている。閉塞した濃密な絶望がなければ目の前が切り開かれるような救いもない。秋のことを思う。

風の音がきこえる。まだ19時にもならない、と思うと、お休みの大切さを感じる。しかし私は要領のよいほうなので(信じますか)、休みばかりあっても仕方がないのだ。いつまでも風を感じていたいね。嵐が来ればいい。

"彼らは自分の感じていることに確信が持てず、他人の想像上の欲望や感情の方をよほど気にかけ、生き方は刹那的で、傍観者的な喋り方をする。"
私の欲求のほとんどは人のすることを自分もしてみたい、というだけなんじゃないかと思う。

私はもしかしたらあまり他人を必要とせず、むしろ他人と話すと体力を失うタイプの人間なのかもしれない。……え、なんで接客やってるの? 人間全般と関わるのが嫌かといえばそうではなく、例えばこの前見学に行った研究所のボスのことはめちゃくちゃ好きになれそうだった。でもそれって人間というよりは概念で情報だからだ。ちゃんと中身のある、多分言い換えると人格の存在する、人間だからだ。ここで二分法を用いてはいけないのだろうと思うので言葉にはしないが、まあそういう感じで、やっていきましょう。

優しいというのはできる限り多くの可能性を考慮することだ、と私は昔どこかに書いた。自分は他者に責任を持てないし、干渉もできない、と真摯に伝えることと、「敵意」というものの存在を世界から隠してしまう清潔さとはどこが違うんだろう。ひとが誰かを突き放すとき、ひとが傷ついているかどうかなんて知らない。そこに感傷を持ち込もうとするのは私の期待だ。傷ついていてくれ、と思う、救えないことを嘆いてくれと。

内的世界に引きこもりたいのなら、外見なんてどうでもいいじゃないか、と思う。けれど私は私を人の輪の中でほとんど発揮できないから、身体は重要だ、と言うこともできるし、私にとっての外界が身体なのだ、と言うこともできる。

2018/12/05

あなたがどういう信念に基づいて行動しているかなんてどうだっていい。わたしはこうです。あなたはこうです。と語り合うことになんの意味があるのだろう。それはただ単純に、わたしがあなたに興味がない、というだけのことなのかもしれない。それとも、開き直った、変えられる予定のないあなたの信念を、きいたところできかされたところでわたしにはなにもすることがないからかもしれない。一方通行の発話。ひとに変えられることを拒む、ただの自己開示。

ひさしぶりの仕事だ。私は自分が何者かを考えなくてはならない。何が私にストレスを呼び込んでいるのか、何が私に人間を恐れさせるのか。

一点目。「私だったらああはしないのに、なぜ他者の迷惑に気が及ばないのだろう」。通りすがりの他者に人格を求める。つまりは規範を求める。「私は我慢しているのに」、という気持ち。とりあえず、人間に人格を見出さず背景かなんかだと思っておけばしのげる。こちらへ向かって歩いてくるカップルをホログラムだと思ってみる。読みかけにしている「順列都市」を読もう。

医者との合コンに誘われたが、断る。タイミング悪いなあ。私がまた人間を好きになろうとしているときに誘ってください。後悔を避けるには、その事実を忘れてしまえばいい、のだけれど、安易に記憶を改竄すると自己基盤がめちゃくちゃになってしまうから、変な論理立てはせずに受け留めよう。

体調が悪い。多分物質的に。血糖値が下がっているのだろう。ご飯を食べた。三時半。

仕事が終わった。途中から突然覚醒してまあまあうまくやれた。明日から違う現場だけれどさっさと適応してしまいたい。環境への適応は速い。ひとがだめなだけだ。社長と来年の話をした。経済的なことも考えねばならない。

吐きたくない吐きたくないと思っているのに過食してしまった、で、吐くのをやめてみようと思った。もちぽよ、シナモンロール、食パン4枚、チョコフレーク、大量の干し芋、全部合わせて軽く1000kcal以上あると思うけれど、これそのまま寝たら明日どうなっているのか? 人体実験。とりあえず太りたくないのでコーヒーを1Lちかく飲みます。二十二時。
とりあえず2kgくらい太って、体脂肪率も25%越えして、にきびができ、見た目はとんでもなくむくむと思う。カリウムもいっぱい飲まなきゃね。

包まれたい。「皮膚・自我」を読んでいる。私は元々女の性欲の存在を信じていない。高校生当時百合姫に描かれるライトな性表現を「そのキャラクターが持つ性欲」と捉えず男性読者へのサービスだと思って疑わなかったくらいだ(もちろんその面もあるとは思う)。だから多分人恋しさは恋人欲しさではないと思う。だって求めるものがただ仕事に疲れた私を抱き留め寝かしつけることくらいしかない。過食嘔吐せずにいい子に寝るところまで見張っていてほしいくらいしかない。煩わしい義務からは逃れたいし、そもそも人格を全く求めていないじゃないか。あたたかくやわらかい「皮膚」があれば母の代わりになるという。布団へ胎内回帰。

2015年春にリア垢を作ってからフォローしている人のすべてのツイートをちゃんと読んでいたのだけど、やめました。気になる人だけ全部読んでいるけれど、これもやめてしまいそう。

正しい人間が正しいことをするだけの漫画、わたしたちが燻らせていた心を「現実」に投げつけるだけの漫画、せつないね、わたしたちそんなことできっこないのに、空想の中でだけは正しくて強くてきれいだ。

美しさは力だ。だから私は身体を支配しようとする。陶器のような肌、お人形のような小さな顔、細長い手足、身体の不在感を目指して。老いという人間味を殺してリアルじゃない存在になることがきっと強いことだと思っている。だから私は明日起きるととてつもなく弱くなっている。他者の身体を見下してつくった優越感は自分の転落で失われる。身体の不調を感じ続けるということは、精神の圧迫なのだ。精神性の信奉、私は身体を黙殺することで人に勝とうとする。

2018/12/06

太るという以前にまだ消化が終わっていない。朝。仕事が早いが、帰るのも早い。帰ったらいろいろなことをしたいけれど多分すぐに寝てしまう。昨日はコーヒーのせいか、何度も起きてあまり寝られなかった。

現場が外なので寒い。寒いと寒いことに気を奪われて何も考えられない。考えることもない。ただ耐える。何かを見つけないと精神が参る。楽しいことを探す。

暖かいってすごいことです。10度の環境で8時間働いた私が言います。ああ、カナダのこと思い出せばよかった。今日の食事はBCAAと80kcalくらいのスープのみ。まだまだお腹は減らない。

暑いのと寒いのだったらやっぱり寒いのがましだ。暑いといつ倒れるかわからないという社会的不安がある。寒くても、「寒い」としか考えられず思考能力は奪われるけれど、耐えるしかない、という諦めはある。

"生殖にかかわる性欲や、自己色情に到達しうるのは、みずからの皮膚の中に最小限の基本的な安心感を持つ人間だけである。"

寒い中立ちっぱなし、サボるにも巡回にびくびくする、時が経つのが何倍にも感じられる、一応数字を求められる、おじいさんに給料の心配をされる、などと悪いところは多いが、人との関わりがない分楽だ。その場での人間関係に気を遣わなくて済む、というのと、それに類似した過去のパターンを無意識に引き寄せなくて済む、というところがいい。いつにも増して、人のことを考えなかった。閉じていく。

2018/12/07

たぶんとても近しく思っているのだろう、今。夢の中で私は外聞も気にせず触れたがって、というよりは気を引きたがって、去年のこと、一昨年のことを思う。「わたしの問題」が、「わたしたちの問題」になることはあるのか、ないのか、あるならばそれは愚かにもお互いにそう信じ込むということだ。共同幻想、見ましょうか。

久しぶりに人と話すと、自分が、自分の発言に対して価値判断を絶えず行っているのがわかる。だから気が参るのだ。後で悔いるくらい、会話に没入しているのならそれはそれでいい。喋る私と後悔する私が違っても、それは「現在」と「過去」の対比といえる。けれど今、喋る私とそれを見つめる私がいるのは、ごまかしのきかない分裂だ。自己が引き裂かれていると何が悪いのかということ、それを今私は思い出せないけれど、進んで気を参らせたくないのは確かだ。

東京に生まれるのは才能だという。神奈川の、おそらくは栄えている方なのであろう、けれど私には田舎と思えてしまう街でひたすら立っている。私がここにいたら、頭はよくなかっただろうし、顔もよくなかっただろう。じゃあ代わりに何をしていた? 都会への羨望を募らせていたかもしれない。何かが満たされているということは、その分、何かを求められるということで、心に穴が開いているのだとすれば、ひとが求めるものをもう持っているからなのかもしれない。

昔は自分の血が半分入っているのなら子供は絶対愛せると思っていたけれど今はそう思わない。血によらず他人である。人権ですね。

年賀状出すとか出さないとかって話を去年まではまだしていたと思うのだけど、今年はすっかり忘れていた。ハガキを買っていく人々を、たまたま派遣された勤務地の近くで見なければ思い出さなかったと思う。
新聞を広げる人や紙の漫画を読む人を数ヶ月に一度見つけては、紙媒体の存在に驚く。ちょうどジャンプを広げ読んでいたバイト先の好きなお姉さん(D3)にその話をすると、「紙が貴重な時代の人みたいだね」と笑われた 私はロストテクノロジーに対し優越感を持っていたのだろうけれど、彼女はおそらく古代に思いを馳せていた。

今日の日記の多くは紙に書いている。立ちっぱなしのバイトで、人が来ないから暇なのだけど、おおっぴらにスマホをいじるわけにもいかないのだ。それと充電がない。紙に書くと、自分がどのように文を書き上げているかがよくわかる。付け足しや表現の書き換えを、どの段階で、何を思ってするかを自覚する。たくさんの文章は、音声入力するつもりだ。

2018/12/08

自分をブスだと思うとどんどんブスになるのでみんなが自分のことブスだと思うのむしろ勧める。社会とかどうでもいいので。

最近よく夢を見る。ボトックス注射を打って、寝ている間でも瞼が完全に閉じていないからかもしれない。現実と深層心理の再編集、夢から何かを得ようとするのが好きだ。夢を見るために起きているのではないかとさえ思う。

泣いてしまうのが嫌で何も言えない。そんな記憶ばかりだ。なぜ泣くのが嫌なのか、わからない。この人の前では泣けるのだろう、と思う人に対して、涙ながらに伝えることなどない。私が軽視されている、それをやめてほしい、と言おうとする時に涙が出るのだから。
私にとって、様々なそれらはもう終わったことで、傷跡を残しては いるけれど、跡どころかずっと心の奥底にしまわれているけれど
、それは過去に過ぎない。それらを取り出して、現在の現実に展開する、なんていうことは考えの外だ。カウンセラーが必要ですね。お金を払って何かのための時間を買う、という行為は、思うよりずっと有用なのではないかと最近思っている。

連勤が終わった後の精神的余裕。お疲れ様でした。

2018/12/09

ほとんど寝ていて、頭がぼうっとしている。三時半。ブーストは一週間も持たなかったか。それとも昨日本をろくに読めていないからか。来週日曜までの卒論(一二章)を、今日上げようとしている。少なくとも明日にまでは終わるけど、どうかな。

他者を必要としない人が少なくとも物語の上では可能なのだ、と知って、自分もそうであっていい、と思ったのはたぶん救いだった。けれど独り山ごもりするような孤独を求めているわけではなく、一週間に一回くらい、心許せる人と一緒にいたい。心を人に許すということが年々難しくなっていて、そんなことができるのは旧い友人くらいにもう限られているのだけど。