永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

2019年ですが、私はもうだめです

2018/12/31

今年も終わる。今年の抱負を見返すと、達成できていないことがほとんどだったけれど、そもそももう必要を感じていないものも多い。「お金を稼ぐ」と「舌先で噛む」はまあまあできたかな。

"情念を統合する"

2019/01/01

右耳元で母が私の名前を呼ぶ。起きたら朝だった。嫌な初夢だ。

皿洗いが好きだ。自宅では一ヶ月皿を放置したこともあった(一ヶ月という言葉が簡単に出てしまうことから過ぎ去った年月を思う)が、居酒屋では皿洗いばかりしている。どれくらい好きかというと、トイレに行こうと思っていてもお皿が来たら皿洗いをしてしまうくらい好きだ。前世はアライグマかと思うほどだ。洗うのも好きだし食洗機から上がった皿を重ねるのも好きだ。思えば幼稚園の頃から、「形」と「色」のマトリクスを作ってものを整理するのが好きだった。

2019/01/02

物語の結末を覚えていない。とても好きな小説の、ラストがどうであったか定かでない。それは『どろぼうの名人 』で言うところの、

 夢の論理は、隠喩と共感でできている。その語彙は、真偽と推論でできた語彙とは欠片も重ならない。
(中略)
 真偽と推論でできた語彙では、こうしたことは細部と呼ばれ、粗筋では切り捨てられる。隠喩と共感でできた語彙では、こうしたことこそが事物をつなぎ、表わし、明らかにする。
 幼い日に聞かされた物語のうろ覚えの細部は、夢の論理につながっている。

ということ。細部は事物をつなぎ、表わし、明らかにする。

2019/01/03

「『見捨てる前にそもそも拾ってない』って思った?」
「思ってない」
「存外優しいのね」

元気っぽく振る舞っていれば元気になるものだと思う。メンヘラしぐさをしているとメンヘラになるのは経験に裏打ちされている。

死にたいときはどうしたらいいんだっけ? 寝るのにも体力がいる。

寒いから何もできないのかもしれない。部屋の室温を見たら12度だった。精神を保つための温度があるのかもしれない。

過眠と不眠というワードを思い出した。このところ明らかな過眠なので、そろそろ不眠になるのかもしれない。母はまだ私のことを躁鬱病だと思っているのだろうか。

2019/01/04

朝の光は気持ちいいな〜〜〜〜!

外へ出ると「あれ、意外と暖かい」といつも思うのだけどそれは室温と外気温がそれほど変わらず、しかし外ではアウターを着て靴を履くからである。

2019/01/05

テトラミドを飲んだら案の定ラリった。頭には靄がかかったよう、文字は読めない、身体が重くて立ち上がれないしまっすぐ歩けない。

疲れたらテンションを上げてキャピキャピしないと仕事できないように、身体が動かなければ人を殺すつもりでなきゃ生活できなかったのだと思う。

優しさっていうのは技術だから、気をつければすぐできる。例えば人の落としたものを拾うとか、咳をしていたら体調を気遣うとか、髪型の変化を見逃さないとか、面倒に思ってもやることを徹底すればいい。意図もなく、ただ「そうするからそうするのだ」と、損得も考えずにルールに従って動けばいい。可愛く振る舞うこともそれと同じだ。なんのためにとか、これで何を得られるかとか、そういうことを求めては「いけない」、と強いる前に、ただそうする、そうするものだからと。人当たりの良さというのはそういうものである。社会性や何やかやで自分を説こうとすると失敗する。もともと意味のないことだから。「こうすると気分が晴れる」くらいが無難なところだ。

2019/01/06

私はこの先どんどんものごとの吸収が弱っていくわけだけれど、代わりに経験がある。つまりはものごとの習得にかんして、「どうすればうまくいくか」がおおよそわかるのだ。だから柔軟性に乏しくても学習曲線は傾きが大きい。というわけで、今日も不健康に(比喩ではなく、神経症的、マロリーワイス的意味で)何もない休日を過ごしてしまったので、強制的に趣味を持ってみた。そして趣味に飽きる恐れがあるので、その習得スキルを洗練させる、という目的も持ってみる。