永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

死にたい 2019/01/07 - 2019/01/13

2019/01/07

夢見が悪い。眠剤を飲み忘れていた、のだと思う。

"んで生まれてきたら最後、生きてご飯を食べ続けて、お金を稼いで生きていかなあかんことだけでもしんどいことです。"

"私にとって、恐怖や空虚さを感じないようにする最良の方法は、何よりも退屈をしないことなのです"

2019/01/08

眠れない夜には首を絞められることを考える。眠れない、というのは寝なければいけないのに頭は思考を続ける、ということである。首を絞められると頭に酸素がいかない。深夜、脳が藻掻き真っ白に沈んでいくことをなぞる。私の首を絞めるのは仮想の女で、それは私が高校の時に書いた心中しようと「私」の首を絞めてくる女で、それは私が高校のあいだ好きだった女の表象の残滓なのである。

予約一ヶ月待ちの皮膚科に予約を入れていて、それが今日で、億劫で無断キャンセルしてしまおうかと五回くらい思ったけれどなんとか病院の近くまで来た。だいじなのは「自分を遠くへ運ぶこと」で、「形を先に作れば中身もついてくるかもしれないこと」だ。

2019/01/09

思い切って朝暖房のタイマーを入れておいたら、嘘みたいにすっきり起きられた。偶然かもしれないけれど、人には生きるのに適切な温度がある。

2019/01/10

夜はいつもだめになってしまう、ので、いつから頭がおかしくなっているのかをとらえようとしている。けれど多分、それは漸次的なものなので、気づいたらもうしでかしているのだ。そう思いつつも、常に自分の頭の状態を意識すること、つまりはメタ意識を試みている。

私を泣かせてください、と思う、何を言うにも私は泣きたくなくて、だから何も言えない。自分が否定されていると感じるとき、それについての抗議を口にしたらその事実を受け留めなければいけない、から、私はきっと泣いてしまう。いつもいつもいつもいつも、私は何も言えない。何でも言えるなあと思う人に、もしそういうことを言われたら、私は裏切りを感じるのかそれとも落ち着いて涙ながらに抗議するのかそれともこの人も所詮こんなもんかと思うのか。

 いつまでも好きなのだけが、本当の好きってことなの?
(中略)
 とすると、本当の好きは、死んだ後にしかありえない。生きているうちにはありえない。*1

 人格を分けると「その人格だけの記憶」ができる。だから重要なことは忘れない。けれど、私はもう、人格を分けないぞと決心したときの気持ちを忘れてしまった。その理由を。何かがあって、変ゼミを読み返して、しみじみそう思ったのは覚えている。私は興奮のためだけに自分の同一性を振り回すのをやめたのだ。

2019/01/11

会社から電話が来ない。このままやめさせてくれるのだろうか? それはそれでちょっとなんだか腑に落ちないのだけど。

明日は神経科、面接、面接である。頑張れ! 面接に行くのが最初で最大の難関だ。履歴書も書かねばならない。

死にたい、と最近言ってばかりだ。昔は「一生誰にも愛されないから死にたい」と思っていたけれど、もはや愛されたいとも思わないから死にたい。人を愛する前に興味が持てないから死にたい。人どころかモノにも興味が持てないから死にたい。ただただ退屈で退屈で退屈で退屈で、毎日のように過食嘔吐して、それも前はしたくてたまらなくて半ば楽しくてしていたのにもはやルーチンの勢いで、じゃあ私どうすればいいの、手首でも切るか? してみたいけれどしてはいけないこと、高揚感、背徳感、場を支配しているという意識、それらを得るために動く力がもうない。私は一体どうすればいい?

2019/01/12

薬が減った。レスリンテトラミドに変わり、テトラミドが強すぎると言ったらレスリンに戻らずに消えた。

2019/01/13

「私が女じゃなきゃ好きにならなかったでしょう?」

八方塞がりだ。