永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

「形骸だけが物語だ」 - 2019/02/25 - 2019/03/03

2019/02/25

ブログを始めました。これではなくていねいなくらしブログです。ていねいなくらしブログを書くためにはていねいなくらし文法やていねいなくらし文体が必要で、そういう形式的なところから、なんて言うんだろう、内容が作られていくのを感じる。

2019/02/26

朝から体調が悪い。整形のカウンセリングの予定があったが、もう行く気力がない。卒業旅行は相手がキャンセルしたので一人旅だ。横になってハンニバルを観る。

気持ち悪い。身体に力が入らない。

呼吸を趣味にすればよいのだ。冗談ではなく、日々の呼吸一つ一つに満足していればもう少しは救われる。

最近は自他境界が溶け合って曖昧になるのはあまり好ましいこととは思えなくて、そうではなく他者の身体を自分のもののように動かし、自分も同様にされる、という操縦関係がよいのではないかと、つまり快感に繋がるのではないかと思う。そういう観点から「いたいけな主人」を思い出す。また読み直したいけれど、読み直せば読み直すほどどんどん大事なところは削り取られていってしまう気がする。

寝たくなくて自分のブログ(こっち)を見返していたらフォントがまちまちだった。直さなければ。寝る前に瞑想をすることにしていたのを思い出し、する。23:15。私にしては遅い。

2019/02/27

労働。

自己顕示欲が薄い。ほとんど見当たらない。多分心の奥底にはあるのだろう、あるいは他者からは見えるのだろうけれど、私の目には映らない。透明な自己顕示欲は私の指先から遠のいてゆき、モチベーションとして機能しない。
欲が消えれば幸せになれると思っていた。けれど欲がなければどうやってやる気を出そう? どうやって目的を見出そう? いくばくかの欲は、たとえそれが「好ましくない」ものだとしても、いい目くらましだった。何もしたいことがない、と私は言う。本当に?
物語をやりたい、と思う、例えば深夜の公園、例えば真夏の竹林。青臭い、と嫌悪するその自制心が、あらゆる欲を掻き消している。けれどそもそもの欲望すら夏のプロトコルに煽られているだけで、実体はないのかもしれない。そこで私は「形骸だけが物語だ」と言う。物語に人間は必要ない、だから欲望は抱かれなくてもいいのだ、と。物語の中へ登場人物を放り込めば、あとは勝手にまわってくれる。そう信じることで、私は欲を取り戻す。

2019/02/28

寝ても覚めてもハンニバルを観ている。

2019/03/01

"男が女性的になるのは、性的倒錯者だからではなく、恋をしているからである。"

"不在の相手をこの身の内に呼び出す。わたしを狙う社交的迎合の縁で、この身を支えてもらいたいからだ。わたしは不在の人の「真実」(あの人がわたしに感じさせる真実)にすがる。自分が滑り込むのを感じる誘惑のヒステリーに抵抗したいからだ。自分が世俗的な快楽に溺れるのをあの人のせいにする。あの人による保護を、その帰還を祈願する。あの人にあらわれてほしい。子供を連れにくる母親のようにして、世俗の華々しさ、社交の陶酔から、このわたしを救い出してほしい。恋愛世界の「宗教的堅固さ、あの重々しさ」を返してほしい。"

"素晴しい! には、具体的な美点のあれこれは何一つ入ってこない。ただ、全体としての情動だけがある。"

2019/03/02

ついに花粉症デビュー!

2019/03/03

"リズムを乱さないように、巡り来る日を一日ずつ確実にたぐり寄せ、後ろに送っていくしかないのです。そしてそれを黙々と続けていると、あるとき自分の中で「何か」が起こるのです。でもそれが起こるまでには、ある程度の時間がかかります。あなたはそれを辛抱強く待たなくてはならない。"

"肉体をたゆまず前に進める努力をすることなく、意志だけを、あるいは魂だけを前向きに強固に保つことは、僕に言わせれば、現実的にはほとんど不可能です。"