永久の幸福

福寿草子のゆるふわ脳内

墓場から地獄まで - 2019/04/27 - 2019/04/30

2019/04/27

本を読み、水面に顔を出す。強く息を吸う。
生活を構築するためには、礎が要だ。そしてそれを確かなものにするには、見えるところをすべて更地にして、脇目も振らずがむしゃらに土台を築き続けなければならない。二週間から三週間というこの期間が長いのかどうかはわからないけれど、私は適応にかかりっきりだった。つまりは適応障害というやつだ。"禁欲的(ストイック)"と称される私の生活が持続可能性から言って"正しい"かどうかはわからない(おそらく、経験上正しくはない)けれど、少なくとも基盤としては十分だ。交感神経マシマシであれ、日々繰り返すことはクリア。繰り返されない生活など生活ではないから、ここは重要だ。次は、とくれば、やはり緩急つけて"より持続可能"なサイクルに持っていくことだろう。一昨日、日々のルーティーンの中に読書を追加した。集中の手綱を持てる比較的自由な時間だ。そして叙述欲を掻き立てもする。それはたぶん言ってよければ自己顕示欲。自分の生活ログを取ることが脅迫的になりつつあるのは否めないけれど、最も興味のある「自分」の定性的な観察記録は、未来の私を最高に興奮させる。

2019/04/28

"私は発見したのだけれど、人は、誰かをほんとうに愛してしまうと、その人の存在を通してしか世界と向き合えなくなるのだ。"

2019/04/29

SFを書こうにも、私には戦争の知識がない。中高で学ぶ個別具体的な事象を禄に知らないのはもちろん、だからこそ私は戦争のプロトコルを知らない。それはどういうことかというと、知らないのだから直截に説明はできないのだけど、料理に例えてみる。目の前のカレーに人参、じゃがいも、豚肉が入っているのはわかる。それらに"火が通っている"こともわかる(もちろん、生じゃないからだ)。けれどカレールーがどう作られたかはわからない(焼いたわけではなさそう。液体を"焼く"ってどういうことだ?)。とはいえ馬鹿じゃないので、鍋に入れてぐつぐつやって作られたこと(つまりそれが"煮る"ってこと)はわかる。でもそれらは統合された流れとしてあるわけじゃなく、ただの断片的な知識でしかない。そういう感じだ。

 

自分の欲求に基づく"望ましくない"決心を封じ込め、なかったことにするために――自分を飼い慣らすために、求められたのが記憶の書き換えなのだった。"人格遊び"の根っこが記憶の改竄であることからすると、アイデンティティを形作っているのはそう言ってよければ連続性だ。だから私は躊躇せずに書き換えるべきなのだろう。「今日はあれをやってやる」と悪事の計画を仔細に立てた過去を、そんな算段など存在しない現在にするために。それが"正しく"生きるということでなくても、"正しい"生活を送りたいのなら。

2019/04/30

「健忘」という概念がある、ということを、私はまさに忘れていたのだけれど、それはただの忘却に過ぎず、ここに挙げたい健忘ではない。私の言いたいのは一過性全健忘症だ。入眠前、途中覚醒時の記憶がなくなる睡眠導入剤の副作用。文字を打つ私の手は震え覚束ない。わずかに残る記憶の中では、私は夜中トイレに立ち、よろめく足からレンドルミンを飲み始めた時のことを思い出していた。昔はあんなに効いたのに、とそれでは恋人同士のようである。身体を上手く操縦できなくなって初めて自分が物質に依存していることを知る。そもそも薬から言って化学式で表される"物質"だし、飲むのは小さな白い錠剤だ。その一粒で次の日の振る舞い方が左右されてしまうなんて許せない。覚醒を必死に試み活動をする時間、そして虚しくも眠りに落ちてしまう時間、それらが交互に私の身体と精神を痛めつけ、その闘いは無限回にも思える。時間感覚は吹き飛び、私は過去の私に同期する。健忘という概念を玩び、離人感の抜けない身体へ。